JSD日本ダウジング協会オフィシャルショップ
JSD日本ダウジング協会公式ショップ

◆ゆるゆる日記はこちら♪

奇蹟

2011年06月06日

スピリチュアルな世界では、

古来から、そしてここ最近のスピリチュアルブームしかり

「奇蹟」という言葉から、その呪縛から逃れることが出来ないようだ。


神秘と奇跡の言葉に依存したり
そこにとらわれたり
その底なし沼にはまって人生を棒にふったり
するならば、その言葉を消してしまえばいい、
という思いもあった。

あるいは、奇跡や神秘を淡々と眺めるようにと指導する方もいたが

そんなもん、未来を言い当てたり
手からなんか出されたり
セロのマジックみたいなことをされたら、
おもしろくって、たまらなく、冷静になんていられないのは人間だ。

奇蹟を見せ、神の使者と思わせて信者をコントロールするなんて
古来の技かと思っても今でもあり続ける。

あり続けるのは役目があったり(それがなんだかわからないにしても)
欲するものと提供がするものがあるからだというのは事実だ。


消すことはできない。

となれば、

奇蹟と神秘の違う側面を眺めてみるのも面白いのではないかと思う。


自分の知らない自分の力が引き出されたら
そりゃ、神秘だ。

そして、自分がここまでしかできないと思っていたのに、
それを超える結果を出してしまったら、

そりゃ奇蹟だ。


そして、その神秘や奇蹟を自分がコントロールし
世のために使うことが出来たなら

人間の成長だ

この世は魂の修行の場でそのために生まれ落ちてきたとしたなら、

その、目的はその成長によってかなり遂げることが出来るのではないか?

生まれていた目的を果たすことが出来たり
あるいは、着々とそれが進んでいたら

人間は幸福だと感じるに違いない。


だから、

人は幸福になるために生まれてきた

なんて、ここまで書いたことを省略して一言でいったりするわけだ。


その一つの有効な技術、あるいは、method としてダウジングがあるから僕は面白いんであって、
レイキもだから面白いわけだ。

同じようなふうに考える仲間とまた、ばしばしやってこかな。



ホーム | ショッピングカート 特定商取引法表示 | ご利用案内