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2010年2月
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2010年02月26日

どうも死んだ父は、本を読むことが好きだったらしい。

彼の書斎にあった、たくさんの文学集、
あれは、父が買い集めたものだと思っていた。

だが、それは、若くしてなくなった母が買い集めたものだと、
昨日知った。

まさに、昨日知った。。

亡くなって、何年もたって長男の僕がそれを知らなかったなんて。。

その文集は、父の部屋のトレードマークのようなものだった。

僕は、小説家になりたかった父が、他人の書いた本読み漁ってどうする、、
と、半場軽蔑気味に、その文学集を眺め、
その本を開けることはなかった。

その本だけは、、、家を取り壊しても保存されていて、、

妻の手に移っていて、妻がその本を読み出している。


昨日、一番下の娘が学校から帰ると
急いで、、彼女が買ったばかりの本を
開いて読み始めていた。

ぼくの好きな、ミヒャエルエンデ、、だった。

ただ、一心不乱にその本を読む娘の姿を見ているのは、

とても、嬉しいような、心地よいような感じがした。


思えば、初めてオーラを見たのは、

そんなときの彼女の周りに大きく広がるみどりの光だった。

それからしばらくすると、、

オーラの話をすると、、

前世を次々と言い当てることが義務的に要求され(汗)
そんなことを言うのはやめていた。

そう、オーラの泉というテレビバング無我はやりだしていたころ。


前世の話は、時々出るが、

あえて、必要があって、その記憶をわざと自分の意志で消し去って
現世に降りてきているのに、
それを、思い出そうと必死になるのはおかしいことである。

現世の修行の妨げになるだけである。

ただし、、

現世のするべきテーマとリンクする前世の体験は自然と沸きあがり、
そして、現世の役割を果たすためのヒント、
つまり、見えない角度から見るべき物を見る助けとなる。

その助けをするのが、前世療法となる。

おもしろいのは、、ひとつのやるべきことが、成し遂げられると、

あの、前世は、前世だと思ったけど勘違いだった

と、言い出すことだ。

つまり、、それが終わると、、違うテーマに向かうからそんな風に感じるわけである。


そういった、魂のかかわりやつながり、、これは、、不思議なものだが、、

示し合わせたわけでもなく、、

自然に繋がり、自然に同じ空気を持つ、、そんな光景を見ていると

なんとも、、幸せな気分になる。




2010年02月20日

そんなひとは、他にもいるんだろうけど、、

理由を考えてしまう。

植物栽培は、好きだが、あるとき
ふと、考え出してしまったことがある。

こんな鉢にのなかに押し込められて
植物は幸せなんだろうか?

と。

いろいろ考えた挙句、

実際の自然の中では、生きていくことはかなり大変で、
たくさんの中で、調度条件のよいところに根付いたものだけが生きるが、

鉢で狭いけど、
毎日毎日大切に世話をしてあげるという恩恵を得られる代わりに、、
ちょっと、狭い、、ということを勘弁してもらうということで、
気持ちに折り合いがついた。


石については、非常に困った。

石は本来その国のその山のその場所にただあるべきではないか、、という
昔からの考えがあるからだ。

石は山にあるべきであった

なぜ
人の欲を利用してまで
掘り出させ
山を降ろさせ

人の手に渡るようにし向けられたか

わからなかった

今は一つの
推測がぼくにはある

今の人間の考えること、していること、、
かなり間違っていて緊急事態であり、、気づきを促す必要がある。


石を手渡す人
受け取る人の
表面上の思いはともかく


人に自然からの
メッセージをバイブレーションで伝えるために
石は来たのではないかと

そう思う。

地球の、、宇宙の、、調和されたエネルギーを感じること。
石の声を聞かせるために、人を利用して、
人にそれを手渡すようにしているんじゃないかと、、
地球が。。

そう思ってみると、本当にそうなんじゃないかと思えてくる。
そうなのかもしれない。

だからこそ、、石の声を聞き、
それを、そのアドバイスを
日々の思う事、話すこと、行動することに生かすことが大事なんだと思う。

それが、まさに、クリスタルヒーリングなんじゃないかと思う。

石の力でやるべき人としての努力もしないで
棚ぼたで、恩恵を得ようとする、、というのは、
石とかかわる動機としては、否定しないが、
前述のことをさせたくて、、

石はわざわざ、山から降りてきてくれているように思う。
2010年02月16日
昨年、公園の水仙に

固形の肥料を施しておいたら、、今年は元気よく花を咲かせている。

そして、

スノーフレークが
つくしが顔を出すころに咲き出すはずだ。

さて、液体肥料でもあげておこうか


そして、スノーフレークが咲くと、公園の桜が咲き、春になる。


春、というには、寒い日が続くが、
もう、、気持ちは春に向かっている。

2010年02月12日
3年間、忙しくて全く運動できていなかったのだけれど

ジムトレーニングを再開してみた。

といっても、だいぶブランクがあるので、、

ゆっくりゆっくり、、再開というわけで、、

二回ほど行ってみた。

二日連続。


何も語らずに無口に淡々とトレーニングするのは、
それはそれで、、瞑想する?
みたいなもんで、、なんとも、、いいものである。

ただ、、調子に乗って、無理をしたりするといけないので、、

ゆっくりゆっくりいこうかと思う。

久しぶりの筋肉痛が、なんとも、気持ちがいい。


なんといいますか、、ジムトレーニングを淡々とするというのは、、

特別に目的がないことに

ただ、がんばるのは、なんというか、、面白いものだ。


だいたいにして、、

いつもいつも、僕らは、目的や目標や意味を求めようとしているけれど、
本来、そんな物は必要がないのかもしれない。

2010年02月08日

なぜなのか、、車で外に出かける前の身支度の雰囲気がわかるらしい。

愛犬ティオは、連れて行って、、と、、そわそわしだす。

といっても、、銀行に行ったりするくらいで、

特にこれといって彼女にとって楽しいことはないはずなのに、、

いつもいつも、一緒にお出かけをしたがる。

車で移動して、、そして、、用事を済ます間、車で待っているだけなのに。


それでも楽しそうにする彼女、、、

彼女が遊びまわるために、海にでも連れて行ってあげようかな、
暖かい日に。