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2010年5月
◆ゆるゆる日記はこちら♪:14
2010年05月28日

学校に通っていたときに、、

まず、、小学校の絵日記、、苦痛。。

中学、、感想文、、いや。。。

高校、当然そんなもの書かされ

大学では何かとレポート書くわけで、、

でも、、できることなら、、書きたくない人のほうが多かったとおもう。


それが、、なにやら、、

HPなんてのを作るなんてことになったり、、

ブログだ、ミクシィだ、いまや、、ツイッター??


これ、個人的な楽しみよりも、、、かなり、、おもいきり、
ビジネスのためにけっこうやっている人が多く、

もう、必死に書いているわけじゃないですか?

あんなに学校で書けといわれて嫌だ嫌だとやっていたはずなのに、、

文章書きまくっていて、、、

ぼくは、、何気に文学部だったりするんですが、、、

絶対に将来飯の種にならない、文学なんて、、とおもっていたが、、

いまや、、文学の力、文章力、、

これがないと、、自営の系統、または、新しい産業では、、

生きていけないのではないかってくらいの強迫観念がある人が、、
少なくないなんて、、、

これはすごいことだと思う。

そして、パソコンだプリンターだ、、、フォトショップだのイラストレーターだの、、

みんなが、、印刷屋になっちゃった。。

これもすごい。

こんなことになるなんて、、想像つかなかったなぁ~~。


2010年05月28日

昔、サラリーマン時代

東北に、ことあるごとに家族の愛について語る取引先の人がいた。

仕事が終わり、飲みに言ったりすると、普通は、仕事の話をしたり、
遊びの話をしたり、、普通は家族の話はそんなにしないものだけど、

彼はとにかくそんな話をした。


彼がいろいろ話した中で、、

ひとつだけ、、忘れられない言葉がある。


自分の子供たちが
喧嘩したり、泣いたり騒いだり、、

こういったことを家庭でやるってことは、、

彼らが安心した家庭にいるってことなんだ。

もし、夫婦の仲が悪かったり、
何らかの危機に瀕していたりしたら、、

子供はわがまま言ったり騒いだり
そんなことは出来ない。

子供たちが安心して羽目を外せる安全な家庭を男は作らなくてはならない。


ってことだった。

面白い角度の見方だけど、確かに

子供たちが不安だったら、、兄弟げんかなんか出来ないわな。。

団結して、協力してその困難を越えようと思うだけだ。

まぁ、確かにね。


しかしながら、

子供のころは、35歳を越えた人たちは、かなりの大人で完成された立派なものだと思っていた。

だからこそ、、親の言葉や振る舞いは、絶対に正しいように思っていた。

まさか、、35歳をすぎても、40歳をすぎても

その大人が不安があったり、ストレスに苦しんでいたりなんて思いもよらなかったし、
ガチンとした信条がないなんてことあるはずがないと思っていた。

ましてや、二十代の若かったころの記憶が実はけっこう鮮やかにその俊になってもあるなんてことも、、知らなかった。

四十代近辺の人、おもったより、四十代って若いじゃんなんて実は思っていたりする。
けっこう面白いじゃんなんて、、

けっこう若く見えちゃうんだよね、ぼくはなんて。。

でも、、

やっぱり、当たり前だけど二十歳の連中といっしょに並ぶと、、違う。

確実に。。

僕はどうがんばっても大学生には見えない。。。


しかしながら、、24歳の娘に、その年代その年代のその年代こその楽しさを楽しむことが大事だ、、なんて、言われたときにゃあ、、

まいりますね。。


家族のあり方ってのは、家族ごといろいろで、
それはいろんな形でいいんだと思うけど、、

そのいろんな形や常識の中で育ったもの同士
そして、性別が違う人間と結婚なんてするわけだから、
そりゃ、、大変だわ。

大変なはずだ。

どう考えたって。

2010年05月28日

今、その、一瞬、何を感じているか、

これなんじゃないかと思う。

気をつけないといけないのは、、

何らかの目標に一歩一歩近づいている感覚
幸福感があるということや、

困難を乗り越えたときの達成感や

そんなのに、気を奪われてしまうことだ。


食うために働くなんて言葉もあるけど、

実際、食うことに困難を感じ
空腹感と戦いながら、生存のために必死という人はどれだけいるだろうか?

むしろ、余分についた脂肪に悩んでいるくらいではないだろうか?


何の因果か、、この、安全で、生活に苦労しない日本の
この時代に生れ落ちたわけだ。

ならば、、この中でしかできない事、やるのが、
役目、全体に対する役目ではないだろうか?

そんなことやれるなんて、なかなかないと思う。

衣食住の不安におののく人、、いないんだから。。ほとんど。。

一瞬一瞬を感謝しながら味わいながら、、

その、ポジティブなものをどんどん広めていく、

そういったことが大事なんじゃないだろうか?

2010年05月27日
あるがままをそのまま見る。

こんな難易度の高いことを出来る人はそうそういない。

ありのままの自分を見る。

こいつはもっと大変だ。


いいことなんだと思う。
本来は、

つまり、自分が心傷つかないように
自己弁護の壁を作ることは、

普通は。

そうじゃなきゃ、、たまらない、、苦しくて生きているのも嫌になっちゃう。

けど、

自己弁護の壁は、恒常的に使うものではなく、

一時的に使うサポーターのようなものである。

傷ついた関節、、傷めた関節をサポーターで保護する。

もっとわかりやすく言えば、

はい、ぎっくり腰やりました。

安静期間をすぎたけどまだ危なげだから、
腰にサポーター巻いて保護する。

てなもんである、

それが自己弁護の上手な言い訳。


そこまでは、いい。

傷がいえてきたなら、、、
腰のサポーター取らないと腰の筋肉がドンドン落ちて
サポーターないとやっていけない弱い腰になっちゃう。

いつもいつも支えてくれる保護があるんだから。。


腰と心は違うのかもしれないが、似たようなところがある。

いつもいつも、自己弁護、、、下手したら、責任転嫁、、していると、、、

心がそれがないとやっていけないくらい弱くなっちゃう。

これはやばい。。

弱いからちょっとした弾みでまた怪我をしちゃう。。

そうならないように、、定期的に自己弁護しながら、

人生の旅路で多少怪我することは少なからずあるから、、

そして、安静期間がすぎたら、

そのサポーターを取る。。

内観する、事実を見る。

きついかもしんない。

でも、

筋トレと同じで、、、

いつもより強い刺激があると、、超回復といって前より強くなる。

ように思う。

ただ、、

心の強さは、固める強さではなく

自在に事象をいろいろな角度でしなやかに見れるその柔軟性ではないかと思う。



筋トレしたことある人、ぎっくり腰したことある人にはわかりやすい話だったかもしれないが、、

そうじゃないと、、


????

だったかも(笑)




2010年05月27日
サンシキヒルガオ、

同じ条件で育てていたのに、、

青色のものは、、かれちゃった。

赤色のものは普通に育っている。。


わからない、、条件同じなのに。

ワークショップを行うために、出張しているうちに枯れてしまい、、

まだ、そのがっかり感から回復できず。。。


自分的には、肥料が強すぎた、、、かも、以外はわからない。。

いきなり弱ったり、、ってので、、土の中に何かがいて、、
例えば、コガネムシの幼虫とかがいて、、根っこ、食べられちゃった、、とかあるかもしれないから、、

わからない。。

鉢をひっくり返すと何かがわかるかもしれないが、、まだ、若干種がついている部分があるから、、それもやる気がしない。。



何で枯れちゃったんだろう、

と、200回はつぶやいている僕に、

家内が

「あなたが出張に言った翌日から急に弱り、どんどん弱ってしまった。
きっと、あなたがいなくて寂しくて枯れたのでは?」

ということを言ってきた。


少し気持ちが落ち着いた。。

そうなのか、、

と、気持ちが落ち着いた。


ほっとした。


僕がいなくても
決して
弱ったり枯れたりしない

たくましく優しい妻からの

温かい言葉であった。。。。。。。

2010年05月23日

今日は、こちら静岡は雨です。

雨もいいものです。

なんとも、心を静め、そして、洗い流してくれるような気がします。


四季が、明確にある国の人間と、

そうでない国の人間、、、明らかに違いますよね。。。

四季に沿って、体も季節に合うように変化調整しながら生きていると

もちろん、心もそれによって、変えながら生きていて、、

そして、その全体をみて心と考えるのが我々・・・


そういった中で培ったものは、ほかの国の皆さん

とても、興味があるようです。

日本人としての役目、果たす時期に来ているのかもしれませんね。
2010年05月22日

不思議に思った人はいないだろうか?

僕はけっこう思った。


なんで、、男と女、、、二つなんだろう?

と。


三つじゃダメだったんだろか?

特別な例を除けば(かたつむりとか)

植物も動物も、、、雌雄、オスメス二つだ。

その二つで命を作る。。。


男が男らしく

女が女らしく

そうあることが大事なんじゃないかと思う。


ただ、

その、男らしいという状態も、女らしい状態も

杓子定規に昔のように、、、あればいいってもんでもない。


男尊女卑、男が権力もって女を使えさすのがいいって訳でもないし、

卑弥呼の時代のように、女が資産を持ち君臨し、男は働き蜂よろしく
通って(通い婚)、女王におつかえするってのも、

今の時代でそのままやるわけには行かないだろう。


男が威張ってリーダー張りたいなら、
それだけ価値のあることをしなくちゃなんないし、

女が君臨して男を統治して働かせるにも、また、
女性にそれだけの力が必要だ。

ってのはあるとおもう。


問題は、

男にお使いさせる力がない女が、それを要求したら、、
男はついてこないし、、、、

逆に威張る男だけど、かっこよくなかったり、肝心の稼ぎがなきゃ、
女はついてこない。

道理に合っていないときは、いつも、もめちゃう。。


まぁ、、

両極端な二つをあげたが、、

要するに、、

結局は、、

チームとしての役割を互いに果たしていけば、
二人はうまくいくのではないかと思う。


子育て支援体制の話しはあるが、、

子作り支援、、、も大事かもしれないという話題が出た。


それを言った人は、笑われたが、、、、

カップルできなくちゃ、、子育て支援もクソもないわ。。

子供いないんだから。。


子作り支援は、、

女が魅力を感じる男を作り、
男が魅力を感じる女を作る、、、

そんなことを、我々中高年がどう支援するか、、


一番有効なのは、、

かっこいいおぢさん
かっこいいおばさん

として、

姿を見せ、

あんなふうになりたいと憧れられるようになるか、

あいつを超えたいと若いのに思わせることじゃないかと思う。


政治がどうの、教育がどうのとか、
喫茶店や飲み屋で熱っぽく話したってなんも変わらないんだから、、

そんなら、じぶんが、
かっこよく生きたらいいでしょ?

となる。

ならない?

あれ?

ぼくはそうなるとおもう。


でね、、

普通はね、、ダメダメな人を救おうと手をさし伸ばす前に、、

いけてる連中が集まり、、

ぶわぁ~~って、エネルギーの渦を作ると、、

そのエネルギーが、包み込み、
おのずと、ダメダメな人の中にある輝くものを呼び覚ますように思うんです。


その方法、、が、いいんじゃないかと。。。

だから、、1000人で世の中変えられるとか、、

100人で世の中変えられるとか言われるゆえんではないだろうか?


というわけで、、

自分の革命を自分の中に起こし、

同じ意識の革命意識がある仲間とめっチャ仲良くして、、

世直し革命軍組織して、遊んでほしいんです。

仕事してほしいんです。


それが、ぼくらの、革命なんだと思う。


よっちゃ、いきましょうかぁ~~~~!





2010年05月20日

まぁ、中高年になると、

余計なお世話、と若者に言われるのを承知で、
これから世の中作る若者のことを考えてしまうわけである。

こうあるべき、そうあるべき、、、

ってな話は中高年からは出て、

「今時の若い者は・・・」と
何千年と繰り返されてきた、決まり文句が出る。


かっこいいおぢさん、に、自分達がなることがまず大事じゃないだろうか?



おお、あのおっさんの仕事かっこいいぜ、
あんなふうになりたいぜ、

と、若者に憧れられるおぢさんになれば、、、

若者は、よ~~し、やつら追い越してやる、

とさらに、僕らをつぶしに来る。

そうなったら、、

まだまだ、若いもんに負けるわけには行かないな、

と、こっちもまたがんばる、、、


こんなことが良いんじゃないかと思った。


愚痴や憂いを口にする前に、かっこいい働くおぢさんに自分達がなれ。

ってことである。

なんで、かっこいい、【働く】がついちゃうかっていると、、

男から仕事取ったら、、かっこいい見せ場なんて

ないからである(涙)


ま、そんなことをいっていたら、、

いるいるいる、、

かっこいいおぢさんたち、、

そんなおぢさんたちと話をしていたら、、とっても元気になった。

おぢさん、かっこいいやんけ、、とやる気が出た。。。

でも、ぼくも、、おやじグループなんだけど。。。。


まっ、そんなもんだ。


2010年05月20日
学び、とはなんだろう?

という話である。


残念なことに、多分、肥料が強すぎたのか、
サンシキヒルガオが枯れる始めてしまった。

出張から帰り、見に行ったら、そうなっていた。

人間にも、ためになるだろうと、消化できる以上に
与えたり、相手が受け入れられないタイミングや理解できないタイミングで与えたら、
むしろ害がる。

同じだ。。


①科学というのは、人間の左脳で考えた人が幸せになるための論理であり実践だと思う。

②芸術とは人間が右脳で感じて浮かび上がったものだったり言葉であり、行動であり、絵であり、、、音楽であり、文学であり、、つまり、そんな形の実践だと思う。


人、、というのは、不思議な生き物だと思う。

論理的思考を神に与えられた。


本当は、他の動物や植物のように、体に刻まれた調和の法則にただ従い生きれば、
何の不安も恐怖もなく、愛と調和の行動を行い、生きとし生けるものと相互に命を活かしあい、生きていったのだと思う。

それでいいはずなのに、論理的に考える力を授かった
しかしながら、完璧な論理は「真理」と呼ばれるものでそれを持ったものは、
人類の歴史の中で、、ほんの数人、、らしい。。

いったら、、全員論理は持っているが、それは不完全で、
その個人の持っている論理をごり押ししたら、社会に害をもたらすようなものである。

なら、、

その個々人の論理を全部重ね合わせて、、
ジューサーに入れてかき混ぜて、成熟させたら、、
かなり、、「真理」に近づくような感じがする。

ということは、

人は全員、地球にいる全員集まったら、、

「真理」をすでに持っているのかもしれない。。


大胆な、加藤式理論だ(笑)

ただ、自分は、個人の持っている論理は不完全として定義しているわけだから、
自分個人の持つ論理は、もちろん、不完全、ということになる。。

でも、私は特別だから、これは完全なんだと言い出すと、
そう、、大変なことになる(笑)

さらに、、権威づけるために、私は神の声を聞いたのだ、とやれば、これまたすごいことになる(爆笑)



反して、芸術は、私たちに命が生まれた38億年前から刻まれて、練られてきた
完全なる英知のヒビキと他の自然の命のそのヒビキとの
共振共鳴による、活性化により起こったものだと思う

それを

感動

と呼ぶ。

感動は情熱を呼ぶ、、情熱は何かを創造する。

ただ、響いているだけだと想像する。

そのヒビキが共振共鳴すると感動になる。

感動は情熱を作り

想像する。


だっから、、あなたが想像できたことは実現できることなんてことが言われる。



言いたいことは、

左脳で考えた幸せのための創意工夫や親切心と
右脳で出来たその感動が合体すると

人、、としてのこの地球での役目を全うできることになるんじゃないか

という、僕の思いである。


しっかし、、
何で、、サンシキヒルガオ枯れちゃったんだ。。

がっかりだ。。。

化学肥料、自然界ではありえないすごい、効果もあるが、、
すごい、、殺傷力もある。。。。。

そんなこと、、知っていたのに。。

あせってしまった。

あせると判断力が低下する。。
もう、、ばか。。。
ぼくのばか。。。。。





2010年05月14日
先日、指導者講習会をしていたときであるが、

そういったケースでは、

ダウジングの基本や、スキルも当然ですが、

エネルギーヒーリング、道具を一切使わないヒーリングのトレーニングもする。

そのうえで、イシスペンデュラムのチャクラバランシングをはじめたら、

明らかに、イシスを使ったときにエネルギーが高まっていることを強く実感した。

実感したというのは、、受ける側になり、そのヒーリングを受けてみるということを
研修の目的でしたのだが、こうまで変わるか、、というくらい違い、

みんなで面白くなり、とても楽しい研修会となった。


スピリチュアルな世界や、ヒーリングの世界では、

古来から世界各地で、マントラやシンボルを使った技法というのがある。

一定の形が放つエネルギーの使い方をペンデュラムでやっているので
画期的な気がするかもしれないが、、

実際は、その形状エネルギー学の論理は世界中、いたるところで実は使われているのである。

2010年05月14日

Tさんが、結婚して、この女を自分のものにするとか、
ましてや、俺が守ってやるなんて、馬鹿なことを考えてはいけない。
「お世話になります。おせわしてくださ~~い」みたいなもんやで。

ということだそうだ。

という彼、うちの奥さん、すっごい可愛いんや、という。
僕よりひとつ年上の彼は、同世代な訳だが、、
いろいろ、、考え方が違うから面白い。


うちの場合は、
家内が50歳になることなんて全く考えていなかった。
彼女が20歳のときからの付き合いで、長いわけだが、、ずっと、28歳くらいだと思っていたら、、もうすぐ50歳になるやんか、、見たいな驚きだ。

彼女が28歳のころの写真を見ると、、そして、、いっしょにいる小さく可愛い子供たちを見ると、、
こりゃ、、すごいわ、このころまさに幸せ絶頂じゃないか、、

と思うのだが、、
自分が若いときはもう、、無我夢中だから、そんなのを見ている暇もないし、

家内が若いのも、自分が若いから当然と思うわけなんですね。。


こんなふうに若々しい人をくたびれさせたのは、(笑)
俺のせいか、、なんて思うと、、妙に優しくしなければと思ったりするものだ。

が、、優しく急になると、、

「何をたくらんでいるの?」

と、彼女を不安にさせるだけだったりするのがまた面白い。


2010年05月13日
個性というものと、わがままは違うなんて話があります。

我慢することはいいことでしょうか?

我慢しないで、感じるまま、ほしいときに欲しい物を、
したいときに、したいことを、

人間らしく生きるなんて話しもあります。

でも、

人間は、社会というコミュニティで生きる生き物なので、
コミュニティにはコミュニティのルールがあるので、
それもまた違うような気がします。

人を害したり、傷つけたり、不都合を起こしたりすることがない範囲で
自分らしさ、自分の特性を生かしていくいき方が人間らしいのではないのか、、

なんてことを考えてみました。


2010年05月10日
人間は、あ、、うっかりこんな時期になっていた、

あれ、やっとかなくちゃいけなかったんだ、、

なんて思うんですが、

植物はちゃんと、花を咲かせるべき時期に咲くので、、

ああ、、すごいなぁ、、なんて思いながら、、

急に花が咲き出した庭を見ていました。

あ、、

朝顔種まき、、、しなくちゃ、、、、

一年草の場合は、こっちがやらないとね。。


いろいろな、、成功哲学や人生論、、、
あるんだけど、、

こう、草花に囲まれていると、、

とくに、、一年草だと、、

出世、成功、お金持ち、、、

それがなんぼのもんじゃい?

という気になってきたりする。

ただ、生きていること自体がもう、それだけで、
素晴らしく、価値があり

あるがままに自然に出来るだけ生きた人の勝ちじゃないかと。

何をしたいのか、よくわからない中で、なんだかしらないが、
周りに押し流され、めちゃくちゃ必死に生きているが、何のためか良くわからないが、
やらなくちゃいけないんだなんて、、考えてみたりもするかもしれないが、、

けっこうその、こうあるべき、なんてやつは、実は決してそうあるべきじゃなかったりするのではないだろうか?

視点を変えて眺めてみるとそんな結論が出たりする。

まぁ、ゆっくりいきましょう。

スパンってタイミングは入れば、かってにすごいスピードで動き出すから大丈夫。
2010年05月02日
がんばることも

素直であることも

恥ずかしいことではないと思う。