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2013年12月
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2013年12月29日
GIGO
garvage in , garvage out.
ゴミを入れてもゴミしか出てこない。
コンピュータサイエンスの分野において用いられる表現で、「ゴミを入れればゴミが出てくる」、つまりナンセンスなデータからはナンセンスな結果しか出てこない、という意味の言葉なのだそうです。

ダウジングにおいても、面白半分にふまじめなことをダウジングしても、ゴミしか出てこないと言われます。

ダウジングは何を目的としているか、正しいものを正しく感じて正しく生かす。Radiesthesia的な考え方かもしれませんが、
良い人生のために役立てるということではないでしょうか?

全てのものがエネルギーを放ちそれを探知すること、ダウジングです。そして、ハーモナイズに使う、ダウジングヒーリングです。

どうやって何に繋ぐか、witness をチャンバーに入れて繋ぐというテクニックを皆さんご存じだと思います。
witness のバイブレーションと同じバイブレーションにつなぐわけです。

実は、その原理は、私たち自身の心や体にもあります。
つまり、私たち自身がもっているバイブレーションに共鳴して繋がりやすい。
悪い心というバイブレーションがあればそれに繋がり、不安というバイブレーションがあればそれに繋がり、感謝というバイブレーションがあればそれにつながる。幸福のバイブレーションはそれにつながる。

無意識のうちに私たちは自分の体にその繋がるためのカギ、witness を仕込んでいるわけです。となれば、まずは、自分のクレンジングが大切なことは言うまでもありません。

あいつは、腹黒い奴だと思うのは、自分の中にその腹黒さがあるからです。なんてあの人はいい人なんだと思う人はその良いところが自分にあるからです。

特に、、自分が捨て去ろうと努力してほとんど捨て去ったのに少しかけらの残っている悪いもの、それと同質のものをもつ人に過剰に反応して怒りが出たりするものです。。。

その原理がわかれば、攻撃ではなく、クレンジンすることをするでしょう。
それは、磨くということでもあり、人生を輝かせるものになるでしょう。
2013年12月19日
先般、大学の医学部の教授や、医師たちがおこなう、
講演会にいってきた。

エネルギーやヒーリングを信じているお医者様なんだけど。。

で、実際、魂の話をしたり、エネルギーヒーリングや代替医療の話を出来る医師は、勝ち組なんだそうだ。

力がなければそれはできないそうだ。。じゃないと、そんなこと言っているとつぶされたり、仕事できなくなるんだそうだ。。

しかし、、、

現場の最先端の医師が、、いわゆる、治療を止めたら、生存率が50%アップした、、一体我々は何をしてきたのだろう?という、カミングアウトはショッキングなような、、やっぱりなというか、、そんな気がした。

命が生まれ死ぬ現場にたくさん立ち会う医師は、ちまたのヒーラーよりもスピリチュアルな体験が実際は多いし、、、祈りの現場にももっとも立ち会っているのかもしれない。
2013年12月14日
ティオという名前のメスのパピオンを飼っています。

最近寒いから余計に、手(正確には前足)をかりかりかりってこすってきて
布団の中に入れてくれっていうんですね。。寝ているときに。

で、ぴったりくっついて、人間の添い寝みたいにして寝てくる。

むか~~し、むかし、娘が一緒に寝ているときに、
彼女が寝返りやら何かで、いきなり、わんこを下敷きにして、怖い思いをさせたという、
トラウマがティオにはあります。

昨日、可愛いなって思って布団の中で横に寝ているときに
急になでたら、
ティオはびっくりして起こって噛みついてきた。

手をかまれたのは、初めてだったけどとがった歯は、突き刺さるから血が出た。
全然痛くはないんだけど、、

つまりは、、

こういうことって、あるよなって、思った。

善意でしたことなんだけど、相手側の過去の何か傷とか、地雷とかに触れて、
いきなり噛みつかれちゃう事ってある。

なんで、そんなひどいこと言うの?するの?ってときは、、きっと何か過去の傷がその人にあって、こちらにはそれがわからないこともあるし、
やっている本人のもそれがわからないこともある。

そんなときは、正論で批判したってしょうがないので、、
あらあら、、と静かに思ってやり過ごすのがいいような気がする。

それに、ちょっとくらい痛くても痛くないしね。

2013年12月14日
池袋の東京ミネラルショーまでは、そんなに毎年寒くはない。

今年は、夜、Tシャツでも歩けるんじゃないかって日もあったくらいであった。

そして、ショーが終わると、急に冬になった感じだ。

ああいったショーは、まさに、人との出会い、一つか二つかの大切な出会いのために出るようなものだと思う。

また、いつものなじみの顔を見るのもほっとする。