JSD日本ダウジング協会オフィシャルショップ
JSD 日本ダウジング協会(R)公式ショップ
 
2010年11月
◆ゆるゆる日記はこちら♪:34
2010年11月05日

形にこだわると、

その形が得られても、中身がないと悔やむことになる。

もちろん、人は形で人を見るから人はその悔やみがわからない。

中身を作って自然に形が作られるのがいいのかもしれない。


ただ、、

いいとか
悪いとか

判断する必要は果たしてあるのだろうか?
2010年11月05日

Laughing meditation 笑う瞑想ってのがある。

感情をリリースする、思い切り笑う効果は認める。。

けど、なんというか、、なんか、苦手。。。ぶっちゃけたはなし。。


面白い時笑うよ、、って、、だめ??
2010年11月05日

コンプレックスがあったから、成功したという人は多い。

その辺の理由は皆、納得するところだろう。


じゃあ、


何かを嫌だ、と思った時はどうなんだろう?


①嫌だけど我慢して頑張るのが大人の美学と考えるか、、

②嫌でいいんじゃないか、ここから逃げ出そうと考えるか、

③嫌と思われることを違う考え方したら好きになるかな?と工夫するか、、


どの選択をするか、、


実はどれでも正しいような気がする。


いつも、どれにするって決めてかかるのがいけないような気がする。


大好きだというのも重要なメッセージだが、
大嫌いってやつもとても為になるメッセージと言うのは確実だ。


事象をひっくり返したり、裏から見たり、離れて見たりすると、

少なくとも人生は愉快なものに変化する。


愉快にしましょう。


2010年11月04日

なかには、人が見えなかったり、聞こえなかったりするものを

見たり聞こえたりする人もいるかもしれない。


もし、それが触れるものならあまり悩まないけど、

触れないものだと、、、ちょとこまる。


いろんな情報というものがある。


普通、車を運転していたら、
重要なのは、フロントガラスの先の交通情報。

だから、その先を見ているのでフロントガラスの右上のワイパーが届かない個所の汚れなんて見えない。

汚れじゃなくてもいい、落ちた花びらがのっかっていてもいいけど、、
普通そこは見ない。

だから見えない。


車を運転するにあたって、不必要な情報、、奇麗な花びらがそこにあること、

けど、人によってはそれに気づく人もいる。

そして、、ああ奇麗な花びら、あら、桜だ。

そして、ほっとした気持ちになってドライブをする人もいる。

ほっとした気持ちになって、目的地に着くと、きっとなんか、いいことが起こる。


つまり、精霊たちを感じる人はそんなことなんだ。

とおもう。


前を見て運転しろよ危ない、というひとに、いちいち話すこともない。

ただ、

フロントガラスの右上に張り付いた、桜の花びらをず~~っと見ながら運転をすると、、

事故にあうだろう。

危険だ。


つまり、、

なんらかの、聖なるスピリットを感じる人はそうしてもらえればいいと思う。


どうやったら、天使なり、精霊なり、、、見れるのかという質問は、
嫌と言うほど浴びせかけられた。。


まず、言えることは、

時間に遅れそうだって、焦ってイライラしながら運転していたら、、

きっと、その、花びらに気づく余裕はないだろうね。。。


もう、これで答えはいい??
2010年11月04日

インドで瞑想やらYOGAやら、長期間修業をしたインド人たちも

エネルギーヒーリングを理解している。


体をよく使い、呼吸法を取り入れ、、時に激しい動きの中でリリースしてから、

入っていくのは、日本にはないスタイルかと思う。

欧米でも、お遊戯みたいに踊るスタイルのヒーリングはあるが、、、


どうだろう?

さぁ、好きなようにダンスしなさいなんて、人前で言われて

日本人は、少なくとも、中高年は、できるだろうか?

リリースするより、かえって、羞恥心とストレスが増すかもしれない。


そうなると、太極拳みたいなのがいいのかも。。

でも、、遅すぎるか、、この、スピーディな社会に慣れている人間がいきなりあれでは、、違和感あるかも。



日本は、外国の文化を自分たちが使いやすいように、変容させて取り入れる特性もあるから、ま、好きなように自分のものにするのかもしれないけど。。


興味深いのは、

インド人のヒーラーがエネルギーヒーリングをするとき、

レイキのやり方と酷似したやり方をすることだ。


病腺を感じ手当で抜く。

ということ。

アメリカンスタイルのヒーリングでは、まさに、強引に抜く、
ネガティブエネルギーを悪魔はらいよろしく力強く抜くわけだ。

だが、インドのやり方だと、ただ、静かに手を置いて、
「待つ」

その前に強烈にグラウンディングを作ったうえで、、


ここが、日本と違う。

日本は、日々常に、腹が座った状態で生きること、
を狙っていき、、

そして、薄皮がはがれるのを待つがごとく癒しをなす。

ヒーリングセッション自体のやり方は似ているが、
強烈にグラウンディングを呼吸法で作る部分はちょっと違う。


ただ、

長くヒーリングをしてきて、

悪いところを指摘し、病腺から抜くということは、

クライアントに悪いことに意識を置きやすくなり、

完全に抜くのが難しくなる。


どこが悪いとか、意識させない方がいいと思う。


これからのスタイルは、

良好なチャクラにアプローチして、

そこから、、全体にエネルギーを通していき、結果的にネガティブエネルギーが取れる、なんて方法になっていくと思う。

こればっかりは、この言葉でわからない人は、経験がない人で、、
やって見せなくては、、わからないと思うけど。。。

例えば、頭に手を置いている状態で、
おなかに手を置くようなエネルギーを通して見て、
そう、本人が感じられれば、なんとなくわかるだそう。

やって見せないとわからない。。。

ただ、そんなこと、わからない人にはわからないままセッションしていき、
自然に気がついたら、、

あら、そうでしたか?

くらいにしておくのが、ヒーリング効果的にはいいと思う。


緊張を走らせる原因になるからだ。


意識して感じるのと、無意識の状態で入ってくる感覚情報は全く違う。

後者の方が本当だ。


あとは、もっと、アジナチャクラが活用されていくのではないかと思う。

実に気持ちいいんですよね。。アジナからのアプローチ。
ただし、念を入れられたらたまらないけどね。。

日本では、太陽の印を利用してアプローチしたりしていますよね。。


あと、、
レイキでは頭から始め、頭を重視するが、、、
あれは、クラウンチャクラにアプローチしているということとは意味合いが違うと思う。


2010年11月04日

時間というのはいいもので、

記憶や思い出を作ってくれる。


人の忘れるという能力は重要で

嫌な記憶は捨て去ってしまうこともできる。

良い記憶を強調することもできる。


好きなような編集が出来るわけだ。

そうすると、

過去がドラマのように輝きだしたりする。

そして、今も輝いたりし、未来も輝かせる。


ただ、その編集作業を頑張ってやりすぎちゃうと、

ドラマというより、、SFになっちゃって大変だけどね~~~。


2010年11月03日
実はあまり、、旅行したり出かけたりするのは好きではない。

人が旅行するのは、日常から逃避をしたかったり、

何か新しい刺激を自分に入れることで何かが変化すると思っていたり、

何かを探したかったり?

まぁ、同じことを言っているのかもしれない。。


一度決めたら、同じことを繰り返すことに何のためらいもない性格で、

レストランに入って一つのものを注文して

美味しかったなら、他のメニューはどうだろうなんて思わない性格で、

いま、満足しているのだから、同じものを頼むなんて性格だ。


だから、

旅行とかは、あまり、好きではない。

たしかに、いろいろな文化や考え方、そして、空気、、

そのエネルギーに触れることはいいことかもしれないけど、

地球にはいろんな国があって、日本だけだってあらゆるものを見るのは無理なんだから、、

ちょっと、飛行機に乗って出かけても、知った量はある物の量からしたら、
すっごく少ないのは変わらないし、

仮に地球のすべてを見ても、、今度は宇宙を見たくなるだけだろう。



すべてを知って神の仲間に入りたいって言うなら、まぁ、全宇宙を見るってのもいいのかもしれないけど、

その気はない。


人は、おもしろいことに、信じられないようなことを信じたくなるという妙な衝動がある。

おもしろいことだ。


誰もが事実と認めるあったりまえのことを、
あったり前のようにやり続けることは極めて難しく、
ぼくは、逆にその方に興味がある。


なぜ、人はこんなに複雑なものを作り上げる力があるのに、

小学生でもわかる理屈に沿えないのか?

これは、僕にとって神秘だ。


2010年11月03日

この世の中のことを

最悪だっていう人もいるし、最高だっていうし、

何が起こってもすべてが順調だと言っていればいいという人もいるし、

何が起こってもあれが心配これが心配という人もいるけれど、


間違いないのは、

とにかく、努力なんてしなくても

どんどん、普通にしていると物事は複雑になり

理屈っぽくなり、

イライラを生むっていうことなんだ。


だから、

間違いないのは、

常に常に常に、、


シンプルに単純にしようって毎日努力することなんだ。


何かを得ることより、どんどん捨てるってことが大切なんだ。


きっと、それが、幸せに生きることコツなんじゃないかな?


人生は重荷を背負いて坂道を行くがごとく、、
することだってできるが、

キャーキャー騒ぎながら
ローラーコースター(ジェットコースター)のような生き方もできるし
(若い時にやるのがお薦め)

美しい自然の中を自転車で快走するような人生もできるっていわけさ。


すべては、自分自身の選択となる。

ま~~


とにかく、、


シンプルにすることだ、

頭もシンプルじゃないと、動作不良が起こる。


パソコンだって、データ詰め込みすぎると動き悪くなったりするでしょ?

あれあれ。


2010年11月02日

人は人生に意味や理由を探そうとするとことがあるように思う。

なぜ?

どうして?


とりあえず、何か意味をこじつけて生きるか、、

もしくは、まぁ、そんなこと言っていてもはじまらないから、
またあとで考えるかな、、

と、やり過ごして生きるというのが実際だろう。


じゃあ、


意味も理由もそんなものはないんだ
いらないんだ、

ただ、生きようとすると、

意味や理由が浮かび上がってきたりするから面白いものだ。
2010年11月02日
陰陽というけれど、

すべてのコインは、裏と表があり

光あるところ必ず影がある。

短所は長所で、長所は短所。


例えば、、、
でっかい体なんて、目立ってかっこいいかもしれないが、
女性なんかは、でかすぎたら嫌だろう。。

電車だって窮屈だし、車も。


でも、

モデルやる時なんかは、170cmくらいはないと
洋服をきれいに切るのは難しいだろう。

そして、バレーボールやるなら、でっかい体は
すごい、メリットだ。

長所だ。


栗原、復活しましたね。。。

って話飛びましたね。

栗原なんか、好きなんですよね。。


光をものすごい明るさにしたら

暗闇がなくなってしまうという話もある。

それは、enlightment を得た状態だと思う。

つまり悟りだ。


この日常の中で、悟りを目指す生き方ってのは、
社会不適合を起こしたり、

この世にいるのは、物質社会に降りてきて、
ここで、魂磨くためだし、三次元の世界じゃないと
魂のお掃除が出来ないと思ったから降りてきたわけだから、
それをやらないのは、とんでもない手抜きだ。

ということで

光と影がある中で幸せに生きるってのをまずやるべきだと9

僕は考える。

物欲にとらわれるというのはだめだけれど、

物を取り扱うなかで、気持ちいエネルギー交換をみんなとしあうって、
それをやることが大事だと思う。

等しいエネルギー交換を活発にする状態は愛であり幸せだと思う。

そこ、だとおもう。


それをやろうとする道のりの中で、

闇を見つめて思考するよりも、光を見つめて思考した方が

その、

幸せな状態に生きやすいというのは、

我々ヒーリング側の人間の確信である。


だから、そう、いい部分を見つめよう。

そうすると、そこが広がってくる、動きを見せる。


邪気てのは、動いていない、動きが悪い気のことをいう。

動きが活発なエネルギーがあると波動が高いなんて言うわけです。


つまり、そゆこと。


今言ったようなことを

クリスタルを通して、学んでいただこうとするのが、クリスタルヒーリングである。

その幸せへの道のりで分かれ道がたくさんある、その道の選択を正しくするために
そのトレーニングとして、ダウジングがある。

一つの方法だ。


2010年11月01日

しなければなりません


これは、某外国人の天然石デーラーが一時頻繁に使ったギャグだ。

必ず日本人が笑うから、頻繁に使った。


「私はトイレに行かなければなりません」

なんて、言うから、笑っちゃうわけだ。


「私はあなたにお釣りを渡さなければなりません」

とか、、


ただ、

僕たちが思考の中で、

「どうすべきだろう?」

とか、

「こうしなければならない」

と考えて生活し出すと

どうやら、ストレスが増していくようだ。


「どうしたらおもしろいだろう?」

「こうしたいんだ」

と考えていくとみるみる生活は変わっていくでしょう。


ただ、妙な美学があって、


やりたくないことを大義のために、辛抱我慢して成し遂げることは尊敬に足る
立派な行為だ

なんて、考えが日本人にはあるようで、こいつは曲者だ。


それは違う、、


という、考え方をしてみてもいいんじゃないかと思う。
2010年11月01日

愛犬ティオは、

ご飯を食べるときに、

前足をかりかりかりっと、柱にこすってまず音を出す。


ご飯食べるから、そばに来て見ていてほしい


という意味である。


見に行かないと食べ始めない。

一人で食べてもつまらないというわけだ。


ブログなどに、今日はご飯これ食べましたなんて、
載せたくなるのは、、

もしかしたら、ティオと同じような理屈かもしれない。


食事を生命維持のためのエネルギー補給というだけでなく、
何かをプラスするようになるのは、

文化的な生活かもしれない。


そういえば、、

商談も、親しくなると、ランチをともにして、、

もっと親しくなると、夕御飯をともにしたりして、、

食事をしながら、、、というふうになるよね。


食事の時間というのは、実はすごく大事なのかもしれない。


2010年11月01日

車で行くべき場所に、

歩いて行ってみるといろんな発見があるし、いろんなことを感じたり見たりできる。


歩くのがいいね。

歩くといろいろ考える。


自転車もいいけど、、自転車、速いんだよね。

考えるには早すぎる。


見たり感じたり聞いたり触ったり、、、がいいのではないのだろうか?


車で走っていると、、全部見ているようでみていない。。

極端な話、歩いていると、

あ、、ここにヤゴいるじゃん、、なんて、ヤゴ?わかります?

トンボの幼虫、ヤゴいるじゃん、、なんて、、

車じゃ無理だね~~~。


だんだん、マラソンシーズンが近づいているから、

走っている人たちが目立つなぁ~~


まっ、それもいいだろね。



2010年11月01日

近くに良い喫茶店というものはないものかと、、

考えている。


喫茶店というのはもしかしたら、重要な場所かもしれない。

いや、ランチ食べるためっていうわけじゃなく、

美味しいコーヒーと時間と場所を与えてくれる場所は、

非常に重要じゃないかなんて思う。